インターン(西粟倉)

 私は西粟倉村という人口1400人の村にあるある会社にインターンに行った.そこでは百年の森林構想やローカルベンチャーを育成するためのプログラムなどいろいろなことに取り組んでいた.私はそこにバイオマス発電をゲストハウスや温泉で導入していると教えてもらい,それを見てみたいと思いインターンをした.
 西粟倉村は平成の大合併の時,合併を拒んだ.そこから今の西粟倉村の発展が始まった.西粟倉が生き残るための道は林業だった.昔から西粟倉では経済の発展のために農業や,酪農などを試したことがあったらしい.しかし,平地の面積が著しく少ないためいずれも失敗してきた.一方,山林の面識は村の95%にも及んだ.独立を選び,失敗が許されない時,彼らが選んだのが林業だったのは当然の結果だったのだろう.
 林業を村の柱にしていこうとしたとき彼らが考えたのは「上質な田舎」というものだった.美しい山に囲まれ,ゆったりとした時間が流れる田舎を理想とした.しかし,美しい山,これが難しい.基本的に今の山の気には樹齢,木の種類の偏りがある.それは戦後に家がすべて焼けてしまったのを立て直すために木を切って一時は,はげ山だったところに同じような木(杉とヒノキ)を植え続けたためである.その当時の方たちはこの木が財産になると思って植えたのだが一つ誤算があった.それは山を手入れする人たちがいなくなったことだ.当時木は高価なものだった.文字通りお金に等しかった.しかし,現在海外産の安い木材が大量に輸入され日本の木材の値段はがた落ちした.今,木を一本切って材木市場まで運ぶのが6000円だとすると,買ってもらえる値段は4000円になるそうだ.そのくらい日本の林業はもうからないらしい.これではだれもやらない.西粟倉はそこで何をすることにしたかというと林業に新たな価値をつけることだった.
 先ほどまでは木を材木市場で買ってもらうのが前提条件であったがその前提を壊そうというのが新たな価値をつけるということだ.具体的には木材を加工して自分たちで木材を製品にして売ることである.ただ木をもくざいとして売るのではなく,自分たちで加工して,自分たちで売ることで木材に自分たちで価値をつけることができる,文字通り木材に新たな価値を自分たちでつけた行動だった.これは西粟倉村が自立していくのに大きな意味を持っていると私は思う.
 このような自分たちで生きていこうとする西粟倉の姿勢に共感して多くのベンチャーが生まれ,今も生まれつつある.これには西粟倉のある企業がベンチャーを促進させるプログラムをやっているのも大きいだろう.起業家は今,地方でとても必要とされている.彼らが一人いるだけでニートが1000人いてもできない仕事をやってしまう.
 私が西粟倉にいた期間は8日間と短くまだまだ本音のところにはたどり着けなかった.私自身をもっと成長させ西粟倉に行ったときまた何が見えるのか楽しみにしたい.